はたして親は皆子どもが好きなのだろうか。

公園だったりファミレスだったり、日々いろんな場所で子連れママを見かける。砂場の親子を観察してみるとママはただ子どもの泥山づくりを座って眺めてるだけ。ファミレスの親子を見てみても意外と会話がなくて、互いに黙々と食べていたり。そして、どこぞのママもだいたい疲れ顔。

高校生の私は思った。はたして親って、子どものこと、好きなのかって。「何馬鹿なこと言ってんだはげ!」って言われそうだけど、そもそも私自身が子どもが好きではなかったのだった。世の親達は皆子どもが好きだから、産むのかな。世の中に無償の愛なんてあるのかな。私自身が母親に放任されていたのもそう感じさせる一因になっていたのかもしれない。

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時が過ぎ、なんと私はママになっていた。その頃の私は0歳児を抱いて日々子育てとやらに奮闘していた。本音を言ってしまうと私は子どもが好きだから産んだのではなかった。でも、子どもに会うことができてすごくすごく嬉しかった。同時に、私はこれから子どもに無償の愛を注げるママになれるのだろうかととても不安になった。
0歳児を育てていた時の記憶は、実は途切れ途切れである。ほとんどの時間を自分のために費やし生きていた私にはしんどすぎた。あと、妊娠中17キロ増加したせいで産後の腹の肉もだるだる、女の部分をかなり失ってしまったこともしんどさに拍車をかけた。まだまだ自分のことが中心にあった。
そして、子どもが、泣く!まあ泣く。こっちがどんなに頑張っても頑張ってもただただ泣き続けた。「ありがとう」も「嬉しいよ」も言わない(違う、言えない)。淡々とお世話をする日々に私はすっかりまいってしまった。

しかしある時、子どもは首を持ち上げ、寝返りをし、とうとう立ち上がった。「ママ」と言ってにこにこ笑った。9階のベランダから私の眼鏡を落としたりもした(そして私は1歳児に本気で怒って旦那にめちゃくちゃ怒られることとなる)。
いつのまにか子どもの成長過程を見ては感動する日々が続いた。あの時泣いてわめいて眠っていた赤ん坊は、いつのまにか洗濯物をたたむのを手伝ってくれるようになっていた。私は子どもが美味しいと思ってくれるようにクックパッドを見ておかずを作ったりしていた。

私は子どもを授かり、自分以外の人の為にこんなに必死に生きたことはなかった。最初は辛かった、でもいつしか子どもの何気ない成長が私を支えてくれるようになっていた。無論子どもは私の為に成長しているのではない。こんな感情が自分に芽生えたことが衝撃だった。子育てを通し私は成長させてもらってるんだと気づいた。

親達は皆子どもが好きなのだろうか。全員が100%そうだって訳ではなかろう。でも、間違いなく子どもは愛しい存在であるはず。子育てを通じていつのまにか子どもへの愛も育っていくんだと思う。
「私妊娠する前は子ども嫌いだったんだ」って方に、実は結構出会う。「何歳ですか?ってきいたのに、生後何ヶ月ですって答えてくるママさんがいつも疑問だった。0歳でいいじゃん!って!」と笑いながら話していた。
「でも、育ててみた今はね。世の子どもたち、かわいくってだめだねー!」だって。そして、その言葉にうんうんと頷く私がいる。